決め手なんてなかった

リンドウ@家

 

ずっと、結婚という大きな意思決定はなぜ行えるのかが分からなかった。

 

そのような感覚は、過去にも考えを書き起こし咀嚼を試みたことがあり、自分にとっての大きなテーマであり続けた。恋愛→結婚のマイグレーションに失敗する関係性を描いた映画を観ては、その救いのなさに辟易することもあった。

既婚者に対しては、なぜ結婚という意思決定が行えたかを尋ね、「相手といた年数が長いから」とか「この人は良いなと思ったから」など分かったようで分かってない回答が返ってきて、納得がいかないことも多々あった。

しかし、実際に自分が結婚をして、結婚の決め手というものを考えてみても明確な答えを見つけることはできない。意思決定の裏にあったのは、日々の積み重ねであり、理ではなく情であった。この人との生活を続けていきたいという思いが次第に強まり、ゆるやかに意思決定が定まったという事実のみが横たわっている。

強いて挙げるのであれば「相手との生活が描けるか」という観点であるが、これは難しい観点だと思う。交際前にもある程度の判断がつくが、交際し、同棲しないと見えてこないことも多々ある。その精度を上げていくことは時間やケイパビリティの観点から限界があり、結局は偶然性に支配された領域なんだと割り切って試行することしかできないのかもしれない。

世の中に魅力的な人は沢山いるが、偶然性の支配下でここまで魅力的で、加えて生活が描ける人と出会えたことを幸運に思う。

 


最近はどうしても慣れる(≒survive)することに意識がいってしまうが、ここらで気持ちを入れ替えて成長することに焦点を当てていきたい。変化する環境の中で、健やかに、しかし大胆に生きていこうと思う。